私が子供のころ住んでいたところでは、電車というと実際に電気で走っている列車のことを指す。ディーゼル車は汽車と呼ばれていた。その昔は、JR(国鉄)は電化されていなかったので、JRは汽車、私鉄は電車というような使い分けがされていて、その使い分けが残っていたりした。

さて、なんの話かというと、イギリスではかなりディーゼル列車がまだ残っている。主要路線でも普通にディーゼルが走っている。電化されてないのは田舎ということではなく、別にディーゼルでいいじゃないか、という感じなのだと思う。

たぶん、イギリスで万一発電所が止まってもかなりの数の列車自体はスケジュール通りに走れる。信号が困るかもしれないけど、信号はそんなに電力を使うわけではないので、もしかすると自家発電バックアップされているかもしれない。とすると、ある意味インフラの基盤が頑健だともいえる。(もちろん、その分列車の運行速度が遅いとかのデメリットも多々ある)

その気になれば、たぶん蒸気機関車だって走らせられる。駅には屋根がないか、またはあってもいくつものプラットホーム全体を覆うような半円筒形の高い屋根があり、蒸気機関車の出す煙を非常に高い天井から流しだせるようになっている。

銀行もなんだか昔の業務スタイルを守っている。銀行窓口では、コンピュータでの操作と紙とスタンプによる帳簿処理という二重の処理が行われている。効率が悪いといえばそれまでだけど、ということは、万が一電気が数日止まってもコンピュータ導入前の昔にできていた程度の銀行業務は継続できるということだ。

はたして、何がなんでもすべて最新のものにするという日本スタイルがいいのかどうか。計算機や電気といったものにあまり強く依存していると、なにかの事態で電気が止まったときに社会が完全にマヒしてしまう。ハイテク社会も結構だけど、効率と脆弱さは裏表。