年の初めなので、とりとめもない雑感を書かせてもらおう。

あらためて外から日本を見てみると、日本は忙しない国だ。

ゆで蛙の話のように、徐々にこの忙しなさが悪化していって、ある日気がつくと私たちが手にしていたはずの平和で安心して生活できた日本が崩壊してしまうかもしれない。そして、世界の2流国、3流国に転落していくのではないかとさえ危惧したくなる。

この20年間ぐらいのあいだに、徐々にではあるが忙しないというよりも、浅ましくなってきているとも言ってもいい。電車のホームでは部長クラスの年齢の男性がちょっとでも人を押しのけて先に行こうと走りだし、オレオレ詐欺のような人を騙してでも楽してボロ儲けしようとする若者があとをたたない。家庭内では残忍な事件がつぎつぎに起こり、正常な理解の範囲を越えている。

このような傾向は、日本人が生きる指針のようなものを失いかけているからではないか。かつては当然であった正義やモラルや助け合いの気持ちや譲りあいの気持ちが薄れているように感じる。このような気持ちよく生きるための社会的マナーは多少のレベルの差はあれ西欧の先進国には存在するし、それが先進国である証でもある。

それに引き換え、今の日本は人を出し抜いて、儲けてやろうという一部の人たちのために、まじめに働いているひとが押しのけられ、すべてではないが一部の側面でモラルハザードが起こり始めている。このような傾向は、振り返ってみるとオウム真理教事件のころから顕著になり、Yahoo株で数億儲ける人が現れ、そして村上ファンドライブドアのように虚構を振りかざして莫大な資産を築く人により明確に浮き彫りにされた。

このような流れを元に戻すためにはどうすれば良いのだろうか。ひとつにはモラルの回復だ。限られた人間がボロ儲けできるような環境を速やかになくすことだろう。そのためには、小学校でのモラルの教育の時間をしっかりとることと、犯罪の悪質さにあわせて必要であれば何千億円でも懲罰的な罰金を果せられるような法律を作ることによる社会的モラルの再生が急務だ。

もうひとつは、経済格差の是正だ。簡単にいえば、アメリカ型の貧富社会ではなく、高福祉高負担による欧州型の社会に舵を切ることだ。消費税は20%程度まで上げる必要があるかもしれないが、それにより、完全に無料の義務教育と医療、老後の生活の保証が得られる。実際にイギリスや北欧の国々はそのような社会を見事に実現しながら、成長を続けている。

このような再生の過程では、マスコミの努力も欠かせない。日本の忙しなさはワイドショーの忙しなさに起因するのかもしれない。ワイドショー的な情報の使い捨て番組はすべて廃止して、きちんと内容を精査し、構成を考えて情報を伝える番組を制作するべきだ。例えば、普通の家庭の兄弟の間で殺人事件があったとき、あきらかに殺人を犯した側が悪いだけなのにもかかわらず、被害者側の落度をあら捜ししようとする意味がわからない。完全に情報の判断力を失っている。自殺の問題もよく考えて放送しないと、間接的に自殺を煽ることになることがないか良く吟味すべきだ。これらの例はすべて時間に追われて情報の使い捨てをするために、まともな判断が疎かになっているためと言えないだろうか。